私と万国博
公式記録写真集より
映画
日本万国博覧会より
有名な
バッチ男さん
アメリカン・パークの
ケンタッキー
フライドチキン店
公式記録映画にも
出ちゃった
目玉男さん。



今から30年前大阪の千里丘陵に
アジアで初めての
万国博覧会が開催されました。
当時私は会場に 近い青山台中学校の1年生でした。
父は一級建築士として
スイス館をはじめとして いくつかのパビリオンの
建設にかかわりました。
その後父は 沖縄海洋博 やポートピア
筑波博などでも図面をひきました。
当時 私たち家族は 万博会場のすぐ近くの
古江台に住んでいました。
万博を意識したのは クラスの代表として亀高君が
開会式に招待された時でした。
珍しく雪が降り空にはブルーインパルスが
大空にEXPO’70の
飛行機雲を描きました。
興奮して家に帰ると やがて父が帰ってきました
父の手には何やら豪華な化粧箱がありました
父もまた今日の開会式に招待されていたのです
父のもっていたものは
日本館の特別招待者用 写真集だったのです。
リボンの帯びの付いた木目を意識した
箱の中には豪華な本がありました。
現在の目で見ても
かなりハイレベルな印刷物です。
これで一挙に万博に はまりました。
早速3月15日には 会場へ飛んでいきました。
それから会場まで走って転んで
10分という距離もあり
22回いくことになりました。
あのウォルト・ディズニー氏が
いつでも見れる万博をというコンセプトで
ウォルト・ディズニーワールドに
エプコットセンターを建設した
気持ちもよく分かります
目玉男出現の日や
最高入場者を記録した日も
会場にいました
当然開幕日もいったので最終日も押えました。
3月15日と9月13日は 家族で行きました。、
この辺が おたくの始まりかも
その記念としてメダルを購入し
ダイヤル式の刻印機で打刻しました。
このとき食べたのが
ケンタッキーフライドチキンでした
アメリカンパークのお店で買っ
て隣の広場で食べていたら
いきなりの轟音
そう モノレールからは 丸見えだったんですね
正直こんなに おいしいものが あるのかと
感動したのを覚えています。
もちろん まだカーネルサンダースおじさんの
人形はありませんでした。
学校でも先生方が率先して
万博へ行けというものですから
とにかく行けるだけ行きました。
先生も喜んで50回以上行かれた方が
何名かいらっしゃいました。
もちろん ほとんどが夜間入場ですが。
生徒のM君の家は会場のまん前でしたから
軽く100回は行ってたでしょう。
彼は あることに気づいたです
そう フェンスの上に書かれた
高圧電流注意が
はったりだったことを。
万博へ行った次の日はいつも学校で
ゲットしたバッチの品評会でした。
最初は ホイホイくれてたバッチも
会期が終了間近になると
子供には なかなかくれなくなりました
ちびっこギャングたちは あの手この手を
駆使してバッチ集めに奔走しました。
いくら頑張っても例のバッチ男さんには
かないませんましたが。
というわけで万博の思い出や
自分の好きなパビリオンついてに
皆さんと同じ時間の共有を果たしたいと思います。
このページは非営利目的です
またある団体や個人 企業ならびに国家に対し
その広告宣伝ならびに誹謗中傷 売名行為をする
目的ではありません。
参考や引用した資料については、
別項にてまとめました。
日本館の
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